スカラーランプの光に包み込まれたあなたの「心(体)」は、ゼロポイントと共鳴し、あなたが意識する・しないに関わらず「心」の揺らぎが収束し、安定する方向に導かれます
それは恰も
「混沌とした状況に秩序と調和がもたらされる」かの様に穏やかな状態になるです
私たち人間は
一日に五万回も「思ったり・考えたり・感じたり」していると言われます
見たり・聞いたり・触れたり・匂いを嗅いだり・味わったり…
これらは
五感(視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚)を通じて行なわれます
下の画像をご覧下さい
これは、五感を通じて入ってくる外在世界の事象と心と意識との関係を表したものです
青い線で囲んだ部分があなたの肉体です
心と意識は同居しているのですが、心を取り囲む形で「意識」があり、その意識が「心のフィルター」として働くのです
目で見たり、耳で聞いたりする外在世界の出来事は、すべて五感を通じて入ってきますね
意識は物心ついたころから形成されて行くのだけれど、それは、育つ環境、つまり親や兄弟、おじいちゃんおばあちゃん、親戚の人など、あなたを取り巻く人たちの接し方によって育まれます
この環境があなたの意識つまり、モノの見方や捉え方、考え方の形成に大きく作用するのです
※人の育つ環境は千差万別
通常とは異なる環境で育った方もお見えになりますし、環境の歪みにより、逆の捉え方をしてしまう生き方を経てきた人もお見えになります
五感を通じて入ってくる外在世界の出来事は、心のフィルターとして機能する意識により、「A」という出来事を「A」のまま素直に受け止めることができる人も居れば、「A」という出来事を「B」として受け止めてしまう人もいます
これは、それまでに培われ形成されてきた心のフィルターである意識の為せる業なのです
※これを俗に「そだち」とか「環境が悪かった」と言うのです
「心」は本来、純粋で素直なもの
純粋で素直と言うと、とても清らかで高貴なものに聞こえますが、きれい事ばかりではありません
生きるという生命の本能的な部分は、とてもクールで恐ろしい側面を併せ持っているのが人間です
それをセーブする、自分と他者との関係性を良好に保ち、自分という自己存在を存続させたいと思うのも本能である
そこで必要となるのが「理性」です
「理性」とは
己の本能が求めるもの否定せず、それを実現するには、他者との関係性において双方の有形無形の利が適合する方法や手段を見出す
つまり、自己中心的になり過ぎず、かといって他者に委ねすぎない、自己も他者も納得するモノの見方、捉え方、考え方を求めるバランス感覚を理性だと考えます※深い部分はあえて詰めません 悪しからず・・・
誰にも「良心」があります
自分の「心」が歪んでいるかも知れないと自省的思考が働く人は、「心」が病んでいないでしょう
病んではいないけれど、自省的思考を伝える術を持ち合わせていないのが「悩み」となるのです
心と意識はこの様な関係で構築され、日々生きているのが人間です
物質世界で生きる私たちは、心が素直に受け止めることができる「心のフィルター=意識」を自分自身の力で整えたり、変えてやることが重要なのかも知れません
これが本当の自覚であり、気付いたなら自らの意思で変えて行く・・・これが最も大切なことではないかと思います
スカラーランプの光に包まれながら、その光を見つめながら、自問自答する時間を持つことはとても有意義であり、流され行く時の中で自分を再発見するきっかけとなり、新しい未来の扉を開くことになるでしょう
光共鳴エネルギーに包まれて己の心を落ち着かせることは、穏やかな心持で物事を考えることを可能にするので明るい未来が切り開かれるのです
信じるべきものは
「誰かの言葉を妄信するのではなく、素直な自分の心が発する言葉と対話する」ことではないでしょうか・・・